24
この世界で最も古く最も大きな大陸で、最も最初にその王権国家を構築したとされている、悠久の歴史を誇る王政国家・王城キングダム。その中枢、首都主城のほぼ足元にあたる城塞都市の、地中深くに人知れず。存在し続けていたそこは、何かの坑道のような窟道で。その空洞が穿たれし岩盤が、この大陸でも随一という強さの“聖なる力”を各地へと分散させている気脈の主幹に貫かれているがゆえ。どんな能力者であれど、咒を用いての突破による遠方への移動や召喚がこなせぬというから、なかなかに勝手の悪い敵地の奥向き。
「…っ!」
自分たちから逃げてのことか、それとも。彼が構えた仕儀のその おぞましき“最終目的”へと至るため、ただただ一直線に向かっているだけのものなのか。その正体を露見させし黒幕が身を翻して駆け去ったことへの追撃を構えた、瀬那王子と白い騎士殿であったところが。明かりも少なく、見通しの利かないその隧道へ、どこからともなく垂れ込めて来た、闇より深い漆黒の何か。もやのように音もなく現れたは、何かしら強い邪気を染ませた存在だったらしくって。闇の中へとわだかまる奇妙な気配は、そのままどんどん濃度を深め、
「…っ、セナ様。」
さながら、真っ黒な瘴気を孕んだ沼の汚泥が、沸き返ってのそのまま飛び上がって来たかのように。彼らを乗せて駆けて来た、聖鳥の変化へんげ、純白の翼馬もろともに、塗り潰さんと襲い掛かって来たのだが、
「哈っ!」
「呀っ!」
漆黒の罠へまんまと飲まれかかった、そんな危機へ。後方から飛び出して来たのが、彼らを追って来た、仲間内の導師二人。まずはと皇子たちの前へ楯のように立ちはだかり、咒詞を込めたる守護剣をそれぞれに振り上げて、前方の闇へ向け、風を切っての攻勢を叩きつけ。
「…っっ!?」
二人が放った剣撃が、どんっと叩いた闇の塊。やはりやはりただの霧やもやではなく、何がしか質量を帯びていた得体の知れぬ代物であったらしくって。思わぬ咒を叩きつけられたことからの抗性反応、バチバチバチッという激しい放電とともに、辺り一帯を照らし出す閃光を吐き出しながら、爆発を思わせるような膨らみ方をしたそのまま、一気に消し飛んで………元の静寂へと場の空気が収縮する。その余韻がまだ残っているうち、
「ったくよ。とっととっとと無手勝流のままに進むんじゃねっての。」
それで落着ということか、冷ややかな静けさが戻った窟内に、芯のピンと張ったそんな声が立ち上がり。それと同時、後方からは、それはやさしい光度を保った光の玉がふわりと幾つも流れ来て。身の回りがホッとするよな明るさに暖められて。瞬殺という勢いで対処してくれた先の二人からは少し出足の遅れてた、白魔導師の桜庭さんが、やっと追いついたことを知らせてくれて。
「相手は間違いなく、闇の咒の使い手だってのに。」
まったく無茶な飛び出しをしおってと。セナには咒のお師匠様でもある蛭魔さんが、皇子ら一行をまずはと窘める。
「そいつが戻って来た途端、気が大きくなりやがってよ。」
ずっとずっとその身を案じていた、大好きを通り越して愛しいばかりな白い騎士の帰還が、セナには何にも比較出来ぬほど嬉しいことだというのは判るけど、と。意地悪なワンクッションをおいての叱言を繰り出して。相手が広げたトラップへ、何の警戒もなかったそのまま、弾丸のように突っ込みかけてた彼らへ向けて、そんな苦言を授けたお師様。とはいえ…はっきり言って、そんな悠長なことをしている場合でもないっちゃなく。
「まあ、ともかく、だ。」
彼らが無事な内に何とか追いつけたのは善しとして、と。切れ長な淡灰色の瞳を、先程 咒勢で弾いて消した、闇の生気の塊が沸き立ったのだろう先。その行方を闇に呑まれている恐らくはその先へともっと、延々と続いているのだろう隧道の向こうを、あらためて透かし見やる。
「この先に何か…闇の太守とやらを召喚する祭壇でもあるのかね。」」
「それか、脱出口かもな。」
即妙に応じたのは葉柱さんで。ここに用向きがないのならばという仮定の下になりはするが、自分たちという追っ手を撒くにはそうした方が断然手っ取り早いことだろうに、一旦 外の別空間へと次空転移しないのは。聖なる気脈の影響が強いせいで、魔物を呼べても当人がどこか外へと逃げることは出来ないからと踏めて。その気脈の途切れてるところが、ここを進んだ先にはあるのかも。そういう推量を確認し合い、
「どっちにしても、先へ進むしかねぇってことか。」
こんな奥向きまで来てしまったからには、セナや進だけ危険だから戻れの帰れのと言ったところで、聞き入れはしなかろうし、そんな問答さえ時間の無駄だ。一旦停止となった彼らが、頷き合っての前進モードへ戻りかかったところへと、
「あの…。」
覚えのない声が聞こえた。またしても何か召喚されたかと、全員で辺りを見回しかかると、
「あの、俺、此処の終点への近道を知ってます。」
そんな意外な続きの一言、一同へと投げかけたのは。桜庭の懐ろに抱えられたままだった、一休という名の少年であり、
「…お前、傷はもういいのか?」
結構な深手を負っており、本来ならば…どこか安全なところに避難させておきたいところだったのだけれど。何せ人手が限られている陣営なもんだから、桜庭による治癒の咒を受けさせながら、でもでもごめんね、危険に違いなかろう修羅場へも同行させ続けという扱いになってた男の子。憔悴が和らいで来たせいもあってか、眼差し鋭い、なかなかに凛とした利発そうな和子でもあって。あの阿含という手練れの男が、余裕綽々だった表向きへは欠片も出さぬまま、その胸中へこそりと構えてた身内への疑惑。自分たちの指導者である宗主、僧正様への警戒という、抜き身の刃のようにたいそう危険な疑惑の一端を、彼もまた預けられていたそうであり。そこから、この正念場の形勢が大きく引っ繰り返ったことへの、ある意味で切っ掛けを齎した人物で。蛭魔から案じるように訊かれたのへと、こくりときっちり頷いてから、
「この首都城下へと来てすぐ、広場の石畳へ槌を入れて、一番上の部分の連絡道を全員で掘って。それでこっちの地下窟に繋いだんだけど。」
彼もまた状況が判っているからこそだろう、出来るだけ手短にと、語り始める。
「こんな奥の方の深いトコまでは、用向きもないことだしって誰も入ってみようとはしなかった。」
今思えば、僧正さ…僧正が、何か暗示結界を張ってたのかもしれないけれど、と。そういう呼び方が習慣になってたからだろう、敵に様づけだったの、素早く言い直す意志の冴えは、それが癪だったからの反発だとしても素晴らしく、
「でも、俺、そういうの気にしない方だから。」
炎獄の民の、恐らくは一番 年若い生き残りの少年。とんでもない逆境や恐慌状態という混乱の中、自分たちの世代にとってはそちらが生まれ故郷だった大陸から、生死を賭けて逃げ出したことさえ、その記憶にはないかも知れない。そんな世代の彼には、このどこか奇矯な生活はどのように把握されていたことか。
「僧正は毎日の日課みたいにして、そっちの騎士さんが寝かされてた1層目にあった祭壇の間とそれから、ここの奥の一番深いとこまでと、必ず足を運んでた。俺は阿含さんから、僧正の挙動、大胆にはならんでもいいが、それなりに目ぇ配ってろって言われてたから。」
聞き手がずんと察しがいいと踏んでの、要領を得た話し方も秀逸で、
「何度もこっそり、どこまで続いているのかを探ってみたりって、終点までの遠出を繰り返すうち、空気の流れに気がついて。それを追ってって、別の道があるんだって判ったんだ。」
怖いもの知らずなところへと、大人からの依頼なんて“大義名分”までくっついたのだから、そりゃあ頑張ったことだろう。あまりに唐突な申し出で、しかも…急いでいるからと言って、そうそう一か八かばかりを選んでもいられぬ大事でもあるせいか。そこはやはりの躊躇が挟まって、顔を見合わせあった一同であったものの、
「…よっし。案内してくれるか?」
蛭魔が訊くと仄かにホッとしたような笑みを見せ、抱えられてた桜庭の顔を見上げて“降ろしてくれ”という素振りを見せる。東洋の和装を思わせる前合わせの上着と厚みのあるインナーにたっつけ袴という組み合わせの道着は、深手の名残りであちこちが血や泥に汚れたままだったが、地についた足は思いの外、しっかと彼の体を支えており。桜庭からの治癒ももちろん効果があってのことだろが、彼本人の資質のようなものも頑強なそれであったらしく。抱えていて情が移ったか、それともそちらさんもまたそういう資質なのか。心配そうにその身を囲んだ腕の輪をなかなか引き取らなかった桜庭が、最後の名残りみたいに、
――― ふわ…っと。
少年の背から腕を伸ばして、その上体を包み込むように抱きしめる。それと同時に二人の体の輪郭が、ぽうっと金色がかった光に撫でられて。
「いいね? 傷は塞がってるけど体力はあまり戻ってはないんだ。心得ておくんだよ?」
「あ、えと…はい。///////」
背中へくっついてる胸板の充実感とか、前へ回された腕の堅さとか。男の人に間違いはないのに…なんとも柔らかな温みがする人だなぁと、こんな扱いされたのは初めてなのだろう、一休少年がついつい頬を赤らめてしまい。伝法なそれへとなりかけてた口調が一瞬あらたまる。それとは逆に、
「…っ☆」
一種の病み上がりだからと心配してのこと。渋々ながら手を放しはしたものの、まだちょっとばかり彼を案じていた白魔導師さんの、柔らかそうな亜麻色の髪を…くっと後ろからわざとに引っ張った誰かさん。何すんのよぉと払いのける前に引っ込んだその手の主へ、だが…桜庭さんたらちょぉっと考え込んでから、
「…もしかして妖一、妬いてくれたのかな?」
「知るかっ。////////」
こんな時に…これも余裕ですかねぇ。(苦笑) 彼らのごちゃごちゃは、生憎とというか幸いにしてというか、
「カメ、小さいのへ戻れ。」
翼馬へと変化したカメちゃんへ、せめてポケットに入るサイズになりなということだろう、その背に乗っていたセナたちを降ろしてから、そんな声をかけてた葉柱とそれから、
「わっ☆」
ぽんっと、軽やかに別の姿へ入れ替わった聖鳥さんの変身の方へと、セナや進、それから、こんな間近でなんて初めて眸にするのだろう一休くんといった他の皆様の注意がすっかり逸れていたものだから、ささやかな岡焼き問答があったことなぞ、気づかれたりはしなかったのだが。
「………猫よりもトカゲの方が小さくないか?」
それかネズミと言いかけた葉柱が、ま・いっかと足元にちんまりと座ってた仔猫を、大きな手のひらで掬い上げる。自分が抱えてゆくつもりだったか、ならば別にこのくらいの大きさでも支障はないと思い直したらしかったが、
「葉柱さん。」
声をかけて来たセナが、すっと両手を差し出して見せて。そこへ何かをそそいでくださいと言いたげな、少ぉし受け止めるような丸みを作ってお椀のようにした両手が…何を意味するか。
「…ああ。」
それが判らないほどの鈍さでは、導師稼業なんてやってられないのではあるけれど、
「けど、大丈夫か?」
皇子様が連れてくから引き取るというのなら、なら尚のこと、もっと小んまいものへカメを変化させ直した方がと言いかけた、黒髪の導師様だったのへ、
「平気です。」
ってゆか、動きが俊敏で尚且つ、ふかふかモコモコな方が、ボクも安心出来るんじゃないかって。カメちゃんはそう思ってくれたのかも。ちょっぴり恥ずかしそうに、滸がましいこと言ってすみませんと、やっぱり謙虚な公主様のちょいと縮められた小さな肩へ、
「みゃんvv」
純白の毛並みを躍らせて、葉柱の手のひらから飛び移ってった仔猫であり。
“こりゃあいよいよ、里子に出す覚悟がいるらしいな。”
すっかりとセナの方へ懐き切っている聖鳥さんであり。このごたごたが片付いて、自分がアケメネイに戻るときはどうしようか。セナも一緒について来てもらって、送り届けてもらってから、それじゃあねというお別れになるのかな。
“…う〜ん。”
この正念場で、そんな先のことを思う余裕がある自分へと気づいて…おいおいと失笑した葉柱さんであったりし。あんたたちってば、どいつもこいつも。(苦笑)
◇
皆を案内してくれることとなった一休くんは、まずはと こんな風に前置いた。
『まともな道じゃあないから、それは覚悟しといてくれな?』
さすがは“近道”というだけあって、まずは隧道ではなく、その両脇に沿った岩壁のとある部分から、大きめの岩をどけ、そこの下に開いていた穴を示されて。人ひとりが這っての匍匐前進で何とか通り抜けられるという細い窟道、いやいやこれは裂け目だろうというほどもの通路を、ほぼ真っ暗な中、文字通りの手探りで何十mか進み。
「…あ、少しは新鮮な空気。」
先頭になってた一休少年のすぐ後から出た桜庭が早速のように明かりを灯したそこは、小ぶりの広場みたいな空間になっており。そこから、
「次はこっちだ。」
今度は縦…つまりは真下へ、体の左右や前後へ腕脚を突っ張っての下降。地面のひび割れにしか見えない隙間から、下へと縦に割れた岩肌を、全身を使ってただただ降りることとなるそうで。
「カラビナ打ちつけて、ロープを垂らして。一気に降りるって訳には行かぬかな。」
やはり底までは見通せない深さを覗き込み、葉柱がそんな風に訊いたのは、一刻も早くと気が急いてのこと。二重通しにしたザイルで、ロープに身体の重みを預け、調子を取っての撥ねながら、一足飛びに降りてゆく…という、山岳登攀には一般的な下降方式は取れないかと訊いた彼だったが、
「それは出来ない。何せ、幅も広さもないし、真っ直ぐすとんと伸びてる縦穴じゃないからね。」
その代わり、手掛かり足掛かりには困らないけれどと、いかにも身軽で器用そうな一休が言ってのけ、ここもやはり、じわじわとまたもやの手探りで降りてかないとダメならしい。
「チビ公主、此処で進と待っててもいいんだぞ?」
こんな場面でわざわざからかった蛭魔ではなく、ただ単に、おっかなびっくりでノロノロと降りていては時間を食ってしまって“近道”にならないからと訊いたのだが、
「行きます。」
勇ましくも一番乗りしようと仕掛かったので、それはさすがに、進が腕をやんわりと掴んで引き留めて。
「窮屈でしょうが、しがみついていて下さい。」
どんなに覚悟や気勢があったとて…軽めの木刀さえ振り回せなかった皇子様が、自分の体重を支え切り、そのまま何十mもの“逆ロッククライミング”なんてこと、とてもじゃないが出来よう筈がないのだからと。仔猫へ戻ったカメちゃんを懐ろにもぐり込ませ、進さんから肩にかけていただいてた黒いマントを素早く裂いて作った、簡易の抱っこ紐みたいな命綱を、
「失礼します。」
少しほど屈んで高さを合わせ、頼もしいお胸へきゅうとくっついたところを、素早くも手際のいい動作でさかさかと、あっと言う間に…背ではなく胸元にX字が来る逆のたすきがけ。背負ってしまうと彼からは完全に見えなくなるし、腕も回せず。咄嗟のことへの対処が出来ないからとのこの態勢で。そうやって準備万端整えての下降となって、
「ちび、絶対に進から手ぇ離すなよ?」
何せ…またまた手探りでの、四肢全部を順々に使わねばならない下降だから。セナの背へ軽く添えられてあった進の手も、時には離れて壁へと伸びる。赤子のようだとからかうつもりはないから安心しなと、わざわざ言い置く蛭魔はそれでも、一同の最後、まさかとは思うが頭上から何か降っては来ぬように、そちらへの注意をしいしいの下降となり。
“…成程な。これなら一気に深層部までを近道も出来よう。”
斜面どころか、ほぼ真垂直を下降しているのだから、先程までただただ駆けて駆けて突き進んでた隧道よりも遥かに手っ取り早い、文字通りの一足飛びにて、最下層まで進めるには違いなく。
“正し、全身運動だってのが、ちとキツいが。”
降りるだけで済む道行きならば、これでも一向にかまいはしないのだが。彼らはあくまでも、あの僧正とやらを追跡中の身。追いつけばそこで、十中八、九は、容易いものではない戦いが控えてもいる。
「あ、到着しました。」
さほどには張らない声音で、セナがそんな報告をしてくるまでの結構な長さを。手掛かり足掛かりを踏み外すことでそのまま下まで一気に落下…なんてことにならぬないようにと、じりじり気を張り詰めての岩盤下りが、何とか小半時もかからずに片付いて。
「…井戸の底だな。」
難路を通った疲弊をほぐすようにと腕やら肩やらを回したり、進は手早くもセナからたすき紐を取ってやって、降ろしてやっているそんな中。無機質なばかりの岩壁を見回していた黒魔導師様。鋭角に吊り上がった淡灰色の眸をふと眇め、
“だが…深いせいかな。気脈の強さが微妙に変わったような気がする。”
見えるものではないものを、それでも探るようにと視線を泳がせて。蛭魔が周囲の空気を辿っている。城の地下にあったあの聖なる泉の祠と、ともすれば同じくらいの深さになるものか。それにしては…、
“…何だろう。同じ気配とも思えぬが。”
手触りというか肌合いというものか。微妙に気色が違うと思えて。ここまで来れば、地上にいる人間の意識というものは完全に届いてはいないはずで。純粋な大地の気脈か、あるいは大地の精霊たちの気配くらいしか、何かしらの影響なんてもの、及ぼさないはずなのに? 何だか気になる空気だなと、そこを妙に気にしており、
“壁の向こうほどもの間近に、闇の者を召喚する祭壇か何か、しつらえられてるせいだろか?”
桜庭が新たに幾つか灯し直した光の玉。それらへ“ふわぁ…っ”と一瞬見とれ、それから…少々慌てつつも我に返ると、凛とした眸を上げた一休少年、
「このまま進めば、あの隧道へと戻れる。」
この先に合流点があるよと腕を差し伸べて示して見せて。
「僧正が向かってる、一番深いとこの祭壇も、すぐそこだ。」
やはり…そこからの何かしら、例のグロックスという道標を持ち込んだことから始動しかかっている、胡亂な召喚の儀式とやら。胎動し始めている何物かの気配とやらが、洩れ出ているせいだろかと。掴みどころのない不快感へ、蛭魔が細い眉を吊り上げかけた…そんな間合いへ、
「………っっ!!」
不意に。桜庭の灯していた光玉の幾つかが、意を合わせた何人かにより一斉に吹き消されたかのような唐突さで姿を消して。え?と。何が起こったの?と。いきなり照度の減った異変へ、セナが、進が、一休少年が。葉柱や桜庭が、蛭魔が、ハッとして息を呑んだのとほぼ同時。この同じ空間へと立ち上がった、別の、くっきりとした気配があって。
「…なっ!」
そこにいた全員の姿が、その背後に落ちるはずの陰さえ掻き消す勢いの、凄まじい光芒に襲われて。咄嗟の反応、腕や手で顔や視界を庇ったほどに。闇の中にくっきりと…明々と、その存在が浮かび上がったもの。途轍もない高さと厚みのある炎の柱が何本も、どんっと足元を揺らがすほどもの威勢とともに、地上から噴き上げて来たから………、
「なんだ、こりゃあっ!」
目映いほどの輝きはそれだけ高温の炎であることを示してもいて。向こうが透けて見えないほどの、それは分厚い陣幕は、小さめのホールほどの広さがあったらしいその空間を半円状態で前方から取り囲み、
「自然の現象じゃあなさそうだな、こりゃあ。」
地下深くにたゆとうというマグマのせいにしては、その予兆になろう地熱なぞ、人肌ほどにも発してはいなかったし、地震の気配も勿論のことなかったし。
「…あ。」
皆と同様、茫然自失の体でいた一休少年が、はっとして振り返り、
「違…っ、」
皆へと何か言いかけたのへは、
「判ってらぁ。」
蛭魔が代表して案ずるなと否定してやる。冷然とした横顔ながら、誰もお前の画策だなんて疑ってはいないと言い放ち、
「お前にはそんな暇も余裕もなかっただろし、動機自体がそもそもねぇ。」
あの恐ろしく腕の立つ阿含たらいう兄貴にこんな裏切りが知れたなら、間違いなく地獄の果てまで追われることんなるってのによ、
「その覚悟があるなら別だが。」
「妖一ってば…。」
小さい子を無駄に怯えさせるのはよしなさいと、桜庭くんが窘めたのへ、ふんっと鼻先で息をついて見せ、
「むしろ。あんの糞爺ィが、ここを知ってた上で。なのにわざと塞ぎもせず。裏をかけたと微かな希望を抱いて辿り着いた終点間近に、こ〜んなとんでもないトリック仕込んでやがったって考えた方が道理に適うからな。」
負世界に生を受けた闇の者らは、基本的には“滅び”を目指す。よって、陽世界を喰い潰して来いと送り込まれた連中が授かっている初歩の使命は、人間へ失望や落胆を味あわせること。失意のうちに嘆き苦しみ、何か誰かを呪うその耳元へ、媚薬のように胸がすくよと残酷非道な復讐を唆し。力を貸すからその代わり、負界に落ちた暁には“虚無”という混沌へ一体化すると契約しろと持ってゆく。だから、その行為や言動には悪意があって当然。こうまで周到であっても今更驚くまでもなかろと、犯人が誰なのかに関しては“解決済み”とした上で、
「何かを召喚したのかもね。」
大地の裂け目から噴き出される火柱があまりに強烈だから、熱が邪魔になっててその根元に何があるのかまではちょっと見えないけれどと。この冬の終わりには信じられないほどの熱風が押し寄せるのへと眉を寄せ、桜庭が忌々しいという表情になる。
「まあな。王城はこんな火山帯が走っとるような国でも土地でもないからの。」
極寒の地にだって火山はあるから、気候に直接関係して暖かい筈…とばかりは言えないものの。それでも…こうまで浅いそれならば、温泉の1つ2つくらい噴いていてもいいところ。不自然な灼熱へ向けて、導師たちが苛々と眉根を寄せる。あと少しだのに。相手もまた、遠距離を一瞬で稼げるほどもの空間移動という咒は、此処ではそうそう使えない筈で。だがだがこのまま此処でじだんだを踏んでばかりでいては、今にも相手が先んじて、目的の祭壇まで辿り着くに違いなく。
「…しょうがねぇな。」
相手の正体が見えないのが難物ではあるが、こうなっては手段を選んでもいられない。薄い口唇をキュッと噛みしめ、
「聖なる気脈さえ貫き通す“門”を開ける。」
「…ちょっぉと、待った。」
言い出すんじゃあなかろうかと。そこはさすが、付き合いの長さが物を言い、桜庭の側にも予測があったらしく。蛭魔の声へ、どうかすると重なる勢いでのすぐさま、制止の声が追いかけて。
「なんだよ、火が相手だから水属性の存在へって、この身を変換させて、そいで炎を塞き止めるってだけじゃねぇかよ。」
「だってそれって、術者がそのまま門になるって術じゃないかっ。」
「そんくらい判っとる。」
「判ってないねっ。判ってて言ってるんなら、尚のこと、そんなの見過ごせない。」
まだセナは教わってはいない咒の話なのか、何が何やら判らぬまま、大きな瞳をどこか不安げに揺らめかせ、いきなり喧嘩もどきの言い合いが始まった二人の導師様をおろおろと見やっていたが、
「………そんな咒まで使えるんだな、あの金髪の。」
すぐ間近に立っていた一休が、そんな独り言をぽつりと口にし、それから。
「例外なくのどこへでも次界転移、瞬間移動が出来るっていう特別の咒で、一人の術師が生涯に一度しか唱えられない、しかも一方通行のみ。」
その後を葉柱が引き取って、
「それもその筈で、発動させればその身は…細胞よりも微細な原子レベルまで分解されてしまうからな。」
「………っ!」
障害となっている“壁”の組成属性に克かつ属性へとその身を変換することで、障壁を中和し、一時的な“門”を開く咒。
「いわば、術師が生け贄となる訳だからな。ウチの一族でも絶対禁忌とされてて久しい。」
だってのに何を身勝手なことを言い出すかなと、これは相当に怒っているぞという、厳しいお顔になった葉柱さんであり。セナもまた、短い悲鳴を上げてしまい、
「…蛭魔さんっ!!」
「しょうがねぇだろがっっ!!」
何を責められているのかは百も承知で。だが、
「見ただろうが。あの爺ィ、この一帯を覆うほどもの威勢を持つ“聖なる気脈”を物ともしねぇで、あんだけの化けもんを次々に召喚しやがったんだぞ?」
殴りつけるような強さで怒鳴った直後とは思えぬ、冷ややかな声に戻って。蛭魔はあくまでも正確なところを並べ始める。
「当人の身だって、もしかしたら出入りさせられるのかもな。あくまでも、あのグロックスを発動させやすい、何かを負世界から召喚しやすい祭壇がそこにあっから、それで。俺らをギリギリとさせて悔しがらせるのもおまけとして堪能しよって寸法で。こんなまどろっこしい鬼ごっこなんか構えやがってよ。」
蛭魔が“そこ”と言いながら、視線でも示した先は、今や5、6mはあろうかという高さまで育った、豪火の向こう。岩壁が縦に細く割れていた、裂け目のような陰が確かにあったのに、今はもう、炎で見えない。
「判ってんのか? 前ん時の、あの魔女どころの騒ぎじゃねぇんだ。恐らくは“虚無”の直系、闇の眷属の中でも象徴様に等しいレベルのを呼び出そうって構えてやがんだ。」
――― だから。だから?
ああ、なんか。炎が放つ灼熱にあたってしまったのかな。頭の芯がぼうとして、頬が熱くて集中しにくい。こんな時なのに、こんな場面だのにと、意識がどこかへ吸い込まれそうになるの、頬を手のひらで押さえ“ダメだダメだ”と言い聞かせて。
“蛭魔さんを、止めなきゃ…。”
一旦言い出すと聞かない人だけど、だからってそれを理由に諦めていいことじゃあない。誰であれ、そんな犠牲になってはいけない。そうと言いつのろうとして、セナが一歩、踏み出しかけたところへと、
「…俺が、何とかするから。」
すぐ傍ら。さっき、蛭魔さんへと感心した同じ声が、さっきよりもしっかりとした声で、そんな言いようをして。
「…なに、言ってるの。」
妖一の次は君までもか、と。桜庭さんが苦しげなお顔をますます歪めた。それもその筈、ついさっきまで彼が快癒にとあたってた、一休くんの言だったからで、
「馬鹿なことを言い出すもんじゃない。」
そんなことをさせるために、僕は君の怪我、治したんじゃあないよと。至極当然、そんな馬鹿な話があるかと、この人には珍しいほど憤然としているその胸中までもがありありと判る。だが、
「俺は…サ、鬼っ子、なんだって。」
利かん気そうな面差しを、ちょっとだけ俯けて。彼は、つっかえつっかえ、そんなことを口にして。
「脱出船の中で生まれたって話で、極寒の中だったんで体も冷えきってて。母子ともに危なかったけれど、どうしてもお助けくださいって両親が念じたそのせいで、海にいた魔物が妙な魔力で助けたんじゃないかって。」
深く息を吸い、瞬きを二つ。すると…彼の瞳が赤く染まる。
「俺の“炎眼”は、皆のとは微妙に違うしな。どうにも扱いかねてるみたいに、あの僧正も言ってたくらいで。」
くすんと、大人びた笑い方をする彼に、桜庭がついつい感じたことがある。
――― もしかして。
それもあっての飛び抜けた利発さであり、且つ、阿含からの内密の指令へ、殊更に一生懸命になってた彼だったのかも。先程までこの腕へと抱えていた彼は、セナとさして変わらないほどにも小柄で、年頃だって同じくらいにまだ幼いのだろうに。その全身が、信じ難いほどかっつり堅く鍛え上げられてもいて。一体どんな叩き上げで、こうまでの筋肉質な肢体を身につけたのかを、こんな最中であるにも関わらず、ちょいと気に掛けてもいたのだが…。仲間の中、ちょっぴり毛色が違う自分。こうまで切迫した渦中にあり、絶対数も限られていた一族なのだから、結束してこそ重畳、瑣末な諍いのタネにしかならない疎外感なんてもの、誰も彼へと向けたりなんかしなかっのだろうけど。どこかが皆とは違うという要素、感受性の豊かな子供には大人が思う以上になかなか大きな負担でもあり。そんなこと知らないと払拭するため、若しくは仲間からの信頼をもっともっとと確かめたくて。それでとこうまで躍起になっていた彼だったのかも。
“勿論、考え過ぎかもしれないけれど…。”
少数精鋭。年上の、しかも皆から一目置かれているよな存在から見込まれての責任分担を任されていた。そんな立場にあることこそが、気概を支えて余りある誇りであったろうし、そう、この子はそれはそれは強い子だから。年長さんばかりの周囲から早めの感化を受けたその結果、自身の気脈を練る術を、呼吸や言語と同じレベルで身につけた、まさに英才児なのかも知れずで、
「だから。ここは、この炎は俺に任せろ。」
固い決意とそれから。既に攻撃の念を練り始めているのだろう。体の側線に添わせて降ろされていた腕の先、まだどこか子供っぽい造作をした両の手を、ぎゅうと握り込んでいる彼であり。明々と吹き上がり辺りを覆わんとしている炎へ向かい、
「………喝っっ!」
腹の底からの気合い一喝。聞いた者らの肌が震えたほどもの迫力で、鋭い一声を放ったところが。それがスイッチだったのか、睨み据えたる先、一際高くて赤い炎柱が、強烈な突風に吹き散らかされ、ヴワッと一気に四散した。
「…凄い。」
セナが思わずのこと、ぽつりと呟いたのに気がついて、
「あれも咒なのですか?」
この中では唯一、咒詞や咒術に縁のない白き騎士がそうと尋ねると。意外にもセナはふりふりとかぶりを振って見せた。
「ボクが学んでいる咒というのは、形式に則った手順や咒詞で招いた精霊の力を借りるか、、若しくは術者の意識を核にして。大地の精気や精霊たちの助け、術者によっては自身の気力や魂魄。そういったものを練ったり増幅したりして扱うのですが。彼の放った念は違う。」
そこで言葉を切ったセナだったのは、どう言えばいいものかという戸惑いからだろうが、
「強いて言や、あいつの精神力が生んだ熱量だな。」
そんなセナの言いようの後を接いだ蛭魔もまた、彼なりに驚嘆しているのだろう、感に堪えているよな低い声を出し、
「あれならお前にも使えるかもだぞ? 裂帛の気合いや気功術ってのの延長線上にあるもんで、咒の心得とか特殊なまじないを、ややこしい呼吸や古語を紡いで真摯に唱える必要もない。精霊に好かれるような相性をしてなくとも関係ない。ただただ対峙しているものへと意識を集中させて、自分の腹ん中に練り上げた、攻勢の気合いを叩きつけただけだ。」
そうさな。凄まじい剣撃の圧だけで、結構な距離を離れている対手が引っ繰り返るということがあるそうじゃないか。つまりはあれと一緒だと、
「お前だって知らないうちに実はこなしていたかも知れん。」
気力気概が強いとな、相手の気脈へストレートに衝撃を浴びせることも出来るだろうが。大概は、相手が何をか勝手に想像して震え上がった末の、強烈な防御本能が働くのも手伝って。そこへと付け入り、便乗しての効用なんだが、
「今のは人間相手の術じゃあないからなぁ。」
とんでもない奴がいたもんだと。小さな小さな炎獄の民の発揮した、途撤もない力に苦笑をしている蛭魔へ向けて、
「もう一度、同じ気合いをかけるから。その瞬間に向こうへ駆け抜けろ。」
少年はそうと言い、再び、気合いをその体内へと練り上げ始める。
「………凄い。」
その小柄な体の輪郭から、周囲の炎柱が放っている炎熱に負けないほどもの陽炎が立ち上り始めている。さっき炎を凌駕した一喝には、こうまでして凝縮された“気”が用いられたということか。周囲から集めている訳でもなく、どこかから呼んでいるのでもなく。彼自身の存在感が心なしか大きくなったような気がするほど、その体内での錬成が進んでいるのらしく。
「…来るぞ。」
ちらりと、一瞥を向けられて。進がセナをひょいと抱え上げ、セナはセナでカメちゃん猫を懐ろにぎゅうっと抱きしめる。葉柱がザッと片足を半歩後ろへ引いてのダッシュの構えを取れば、蛭魔もまた、腰を引いてのスタートの構え。炎の柱の向こうの空隙も、そんなに広かった訳ではないから。炎が勢いを戻す前に、岩壁の隙間へ飛び込まねばならない。一休の気勢の集中がその表情の堅さからも判って、だが、ふと。蛭魔は別の何かにも気がついた。
“あ…。”
おいと。声を掛けかかったものの、相手はゆっくりかぶりを振っただけ。だって、この子はまだ完全じゃあないんだものと。だから此処に残るよと、そうと言いたい桜庭なのか。柔らかく微笑ってさえいる彼へ、一瞬、途轍もない動揺を感じた蛭魔だったりしたのだけれど。
「………喝っっ!!」
その声でこの空間も崩せるのではなかろうかという、腹の底からの裂帛の気合い。声だけでは勿論なく、睨み据えてる眼力や、相手へ真っ直ぐ斬りつけんとした意識の刃。それらが一体化したとんでもない“圧”が一直線に炎の弾幕へと突っ込んでゆくのが、意識して見ていたせいもあってか、その形さえ見えたかもというほどにありありと察せられ、
「行くぞっ!!」
言ったがそのまま、なめらかな瞬発力が蛭魔の痩躯を押し出し、連動率のいかにも良さげな快脚が葉柱の身を飛び出させ。セナをその懐ろへと抱え込んだ白き騎士が、疾風のように炎へと立ち向かう。煉獄を思わせるような修羅場の只中、
“再会したけりゃ、勝ってこいってか?”
こんな場面だってのに、此処へ居残る相棒へ、こそりとそんなこと、囁いてた蛭魔であったりしたそうな。
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*あああ、何だかとんでもない長さになって来たので、一旦切りますね。
何でだか、一休くんについてを妙に弄ってしまっております。
だって、あの傲慢大魔王の阿含さんが
二言目にはあいつだけは並んでもいいみたいな、
いかにも見込んでるような言いようをしているし。
まま、只者ではないのは紛うことのない事実でもありましょうから…。 |